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サラゴサ
Jul.2008

スペインのサラゴサへ行ってきた。環境博で演奏するためだ。
el Faloと名付けられたその会場は、木と石と土で造られた大きなドーム状で、空気が自然循環していて、音の響きもとても良かった。
愛地球博で始まったNGO参加によるパビリオンがスペインのNGOにしっかり受け継がれ運営されていた。
そんな気持ちの良いところでの演奏は、スペインの人達の心まで響いたようだ。ありがたい幸せ!
ある晩街にくり出すと、行きつけのカフェバーで、一緒に参加していたアイヌの秋辺さん、西表の金星さん、フィリピンのアーネルらが皆合流した。話ははずみ、スペインのうまい酒で唄も出始める。
しまいにはネイティブソングのメドレーに。地元の人達も皆喜んで拍手をしたり、中には踊り出す人も。これは正にネイティブサミットだ。
人間って国家ではなくて一連なりのファミリーという感覚に帰属できたときに笑い合えるんだよね、とあらためて感動!

国家という概念がしだいに薄くなり、システムが紆余曲折しながらもなだらかに変容してゆく。DNA遺伝学的にも人類は一つの連なった系譜で境目がないことが、科学的に証明された。
何が正しいかとか、結論が先にあるのではなく、日々、一瞬一瞬に、一連なりのファミリーとして自分がすることで、自然にリアリティーが見えてくるのだろう。久々の時差体験と共にそう思った。

畔 道 じ か ん  no.12
2008 Mar.

この辺りの山々は小さいのだが照葉樹や落葉広葉樹が多く案外奥深い森が残っている。冬になると厚く積もった枯葉の層を、雪や雨がじわじわと抜けて、腐葉土に染みて山を下り、ちょろちょろと谷戸に流れてくる。微妙に多様な成分を含む自然の、山のしぼり水・・。
それは田んぼにとって完ぺきなバランスの水なのだ。
この水を冬のうちから棚田に張り、何も肥料を入れずに、耕さず、苗からこの水で育て、8年間ほとんど同じ量を収穫している。
無駄に手をかけることなく、何といっても美しい。

山奥の森では、無限に多様な菌類がいつもいつも生成している。
これはとても重要なことだ。この菌によって植物の根は健全に育つ。食べ物を発酵させることもできるし、また人が作った汚染物も分解してくれる。どんなものでも、毒でも最終的には分解してリサイクルしてくれる。
土が良くなって、生き生きとした作物を育ててくれる・・。
これは神さまの成せる技というものだ。
いにしえの人々は感じていたに違いない。
神さまは山の森に居る。春になると田んぼに降りてくる。そして秋にはまた森にお帰りになる。お帰りになる前にはお祭りしてお礼の気持ちを伝えよう。
神さまとはまさに、いのちの無限なる生成そのものなのだ。
今日は久しぶりに田んぼに行って畔を見て回り、穴が開いていたり崩れてしまっているところを補修した。静かな谷に烏だけが元気に鳴いている。まだ明るいのに、山の上にぽっかり淡く白い月が浮いている。そろそろ神さまが森から降りてみえる季節かなあ。

畔 道 じ か ん  no.11
Oct.2007

泥というのは不思議なものだ。
水に溶けると、とろとろになって流れ、日にあたって乾くとこちこちになって固まる。そしてかたちになった土は水を止める。このごくシンプルな性質のお陰で人は水田をつくることが出来る。
畔の補修は一度側面の土を削って水に溶かし練って、また盛り上げ最後に表面を平らにする。スコップ一本でその作業を続けていた時のこと・・・これは左官の原点かとなと思いつつ、身体もハイになって土を台形に整えていると、ふとそのかたちが巨大な古墳に見えてきた・・・
ある時、この島ではたくさんの古墳が作られる時代になった。
そして七世紀に日本という国が形成されると同時に、より多くの建造物がつくられ始めた。この国は発生の時から、まつりごとと土木がセットだったのだ。
その構造は今なお、生態系を壊してしまう程に飽和状態であるにもかかわらず、土木建設こそが政である事から変容できないでいるのだ。
古墳時代が始まる二世紀後半頃は、成熟した豊かな稲作風土をなし持続していた多くの集落が、滅ぼされ激減したときでもあると最近の考古学は語っている。
かつてこの島中に里山的村々が共存していた頃、それはどんな世界だっただろうとぼくは思いを馳せる。
土から宝物としての金属をいただき必要な分の道具を作り、土の上で作物を育て、全てが調和していた永い永い時代。そこには、今の生活に生かせることが実はたくさんあるに違いない。
溜め水用の池に去年植えた蓮がこの夏、大きな葉を池一杯にたたえ、その中に五輪の花を次々に咲かせてくれた。その光景は不思議な程、谷を訪れる誰の目も開かせ微笑ませてしまう美しさに満ちていた。

畔 道 じ か ん  no.10
Jul.2007

冬場も水を湛える不耕起農でやっていると春先にはいろいろな蛙がたまごを生み、オタマジャクシも育ちやすいようだ。中でも今年は青蛙が多い。
ひとりで田の草取りをしていると、ある瞬間ふと辺りの気がめぐったように一斉に鳴き出す。黙々と泥んこのなかで草を抜きながら一歩づつ畔の土手に近ずくにつれ鳴き声は勢いを増し、小さな身体で感心する程のボリュームだ。しかもそこら中の蛙がまた呼応して谷中が蛙の合唱でいっぱいになる。どうやらその斜面の草むらに沢山の青蛙が居るようなのだ。
手をとめて一瞬思いがよぎる。この鳴き声・・この草むらは俺達の住みかだ・・・テリトリーだ・・・と彼らは主張しているのではないか・・。
毎年田植えの前には田の草取と同時に草刈機で畔も土手もきれいに刈っていたのだが、今年は斜面の草むらはそのままにしておこうという気になる。よく目を近づけて見るとそこはまるでジャングルのように多種多様な植物が共生している完全な世界がある。

数人の助っ人のお陰で田植えも無事終了した。その後の大事な二週間程、今年は日も水も順調で根もしっかり着き葉の色が濃くなり成長が始まった。
そろそろ田の草取りをしようと田んぼに入る。
一足踏み出すごとにオタマジャクシやミズスマシ、タイコウチ、ヤゴ、ざわざわと一斉に動き出す。青蛙もいたいた。稲につかまってじっとして昼寝でもしているのか。しばし見入ってしまうその小さな生き物のなんとも言えない愛嬌に喜びをもらっていた。
(88連載)

畔 道 じ か ん  no.9
Apr.2007

縄文といえばその言葉は土器に付けられた模様に由来する。しかしなぜ彼らは土器に縄目を付けたのだろうか。ぼくはそこに、自然と一体だった人々が自然から分離することへの畏れを感じる。
土器は食物を煮炊きしたり保存したり、またお酒のように物質を転換したりする格段に特別な道具だった。自ら生み出した道具によって自らを自然から突出させてしまうことに対する畏れ。
彼らは人が作り出すものが世界から分離してしまう要素があることを知っていた。だから火に掛ける器は火と共にあるように火の形に、穀物を入れるものには藁の模様を付けて、できる限り世界をひとつに保とうとしていたのではないだろうか。
縄文の模様、それは自然というひとつの環としてある世界に対して人が謙虚であろうとするアートなのだ。

ぼく達の田んぼでは冬の間に水を張り、春になるとその一角に土を積んで苗床を作る。家では去年収穫した籾を水に浸けて、暖かくなって芽を出すのを待つ。
今日は苗床に蒔いた種の上に引き積めるための籾殻の炭をつくる作業だ。空き缶に籾殻を詰めて焚き火の中に置くと、火が燃え尽きた頃には炭になっている。
焚き火の煙で谷中がうっすら霞んでいる。その中をひらひらと花びらが舞っている。見上げると立派な桜の木が岡の上で空を背に満開だ。苗床の上にも花びらが散らばって、まるで種蒔きを祝福してくれているようだ。

畔 道 じ か ん  no.8
Jan.07

冬至の日、絵を描いた。正木さんのWalk9のサイト立ち上げに役立てればという思いで、その表紙の絵だ。昨秋九州ツアーの時、阿蘇「森の妖精祭り」で対談したことから、広々とした山村にある彼の家におじゃまして二晩お話をした。昼間は森を歩いて山の精霊に笛を吹いた。
森は文明の対極であり、文明は森を食らいながら発展してきた。食い尽くして立ち行かなくなった文明の中で思考するより、木を植えるという行動からベクトルが変わる。無限競争から持続循環へパラダイムが変わる。社会が変わるから自分が変わるのではなく、わたしの意識が気付き行動することで世の中が転換する。
正木さんが提唱しているいわば環境哲学はパラダイムシフトが必要な今、ぼくたちの自我に優しく確実に作用する。
葉を落とした木々の中で静かに休んでいる田んぼへ行ってみる。
先日の大雨で関の縁がくずれてしまったり山からの土砂が溜池に流れ込んだりしている。田んぼは水を張り、水底に所々落ち葉がひき詰められている。これは冬季湛水不耕起農にとってはありがたいことだ。山の水は充分に養分を含んでいるだろう。六年前この棚田を復活させて以来、一度も肥料を入れてないのに毎年量も味も減っていないどころか、上手になって段々増しているくらいだ。
山の水が流れ出る小さな谷の棚田。これは自分達が食べるための米づくりには最適な場所。きっと縄文の人達の田んぼもこんな風だったに違いない。

(Walk9のサイト http://amanakuni.net/walk9/

畔 道 じ か ん  no.7
Oct. 06

たわわに実った稲達。黒米、緑米、ササニシキ、の穂がそれぞれの色に染まり、パッチワークのように色分けされて綺麗だ。夏に作ったバリスタイルの竹の小屋に座って、その風景を眺めつつ、想いはめぐる。
今年はバリから始まり、そして熊野本宮での奉納演奏から活動は始まった。前々から熊野にはとても興味があった。日本人のアイデンティティーと深く関わっていると思うからだ。
熊野権現信仰がとても盛んであった時代は、この風土で育まれたネイティブ性という大きな器に仏教思想や山岳信仰などのあらゆる意識を受け入れつつ、自然そのものに宿る本質を信頼し心を委ねることを是とした感性や文化が形作られ波及することで、日本という国も出来上がっていった時代だったのだろう。そういえばこの町の漁村の奥にも権現さんが祭られているのだが、小さな祠のわりには祭りの日の御神輿は町一番に盛大でパワーをもっている。
一見無宗教に見えるが、元来日本人の信仰とは、自然そのものを体感し心から祈ることがかたちと成ったもので、それは教義や人種に関係なくあらゆる人に開かれていたのだ。
もし美しい国がまだあるのなら、その感性こそ拠り所になるのではないだろうか。
昨日の嵐でササニシキは少し倒れたが、もう充分に実っている。明日からそろそろ刈り取りを始めよう。緑米はしっかりとして風にも負けず黒紫の穂先を垂れている。この陽気ならあと二週間くらいで固まって実りきるだろう。さあ収穫の作業。それが終わったら満ち足りた気持ちで演奏ツアーに行けそうだ。(88連載)

畔 道 じ か ん  no.6
Jun.2006

今年の6月は三つどもえ。度々の演奏と見逃せないワールドカップ、その合間に田んぼに出かけては、その日に出来る分の田植えをする。
それがなかなか心地よいバランスだ。天気と相談しつつ、好きな時に無理をせず、でもタイミングは外せない。育つのに長くかかる緑米から、黒米、赤米、そして早稲のササニシキの順でマイペースで植えて行く。こうすれば秋にも少しづつ順々に刈っていけるだろう。自分が食う位の分量だからできる個人的農、田んぼのインディーズスタイルだ。
小さな谷の田んぼの中で腰を曲げて一歩一歩。温んだ水をかく音しか聞こえない。そこに鴬の鳴き声が響く。良く育ってもう分けつしそうな立派な苗は讃えるように、まだ細い苗は少し多めのグループにして、少しイモチが出ている苗も大丈夫、夏には持ち直すから。植える度に苗と気を交わしている自分に気づく。遠くからトンビの長い鳴き声が聞こえている。
ふと何か雰囲気が変わったのか蛙が一斉に鳴きだし、谷中を包む。夕暮れだ。いつものように鴨のつがいが並んで我が家に帰って来るように飛来し少し離れた所に着水した。おーい、植えたばかりの苗を倒すなよー、と気を送る。
日も落ちて手元が暗くなり田んぼから上がると次の場面が訪れていた。息づくように燈明を点した蛍達が暗くなった薮から表れ、田の上を舞っている。しばらく今日の静かなクライマックスを楽しもう。
ほんの数時間のうちに、僕の頭は空っぽになっている、と言うより満ち足りている。空とは我を無くすということではなく、自然と我の差が無いということであると知る。

畦 道 じ か ん  no.5
Feb.2006

久々のバリ島。来る度に空港やリゾート地の開発ぶりには驚くが、
基本的に土地でとれる天然の材料を使っていたり、気持ちいい空間作りを競っているところは楽しませてもらえる。
朝起きると、娘さんが庭の小さな祭壇に香をたて、お供えをして聖水を振りながら祈っている。しばらくすると、お供えのご飯粒を小鳥がつついている。この光景、バリは変わっていない。
モダンとプリミティブ、日常とリゾートがひとつになった感覚。27年前に初めて訪れた時この感覚がとても新鮮で、それ依頼自分の中に染み込んでいるようだ。
ビーチを後にして、その当時長期滞在していたプリアタン村へ向かう。山に近づくにしたがって水田が広がる。この景色も変わらないバリだ。お百姓さん達は牛を使って耕し、手で苗を植え手で刈る。聞くと、籾すりだけは機械でしているようだ。よく見ると所々に木立を利用して人が一人寝れる位の棚と茅葺き屋根の休息用の小屋がある。それがそれぞれに趣があり、美しい。正にアートだ。そして畔の要所要所には椰子の葉などで作った小さな神棚がある。
この島では人と自然が本当に折り合っている。ここでは、一方向に流れる時間やお金は、表れては消えて行くドラマのように見える。
だから風景が美しいんだな。祈りが自然という永遠と繋がっているから、良い笑顔をしてるんだな。
プリアタン村で一番大きなガジュマロの木が27年前と同じように広場の前に立っているのが見えてきた。
(「88」連載)

畔 道 じ か ん no.4
Dec.2005

紅葉を終えた枯葉が水路に積もっている。切り株が残る田は霜柱の跡で土が一面粒子状の模様のようになっていて綺麗だ。一年を通じて田んぼが最も静かになる休息の時。
冬至。陰が極まって、陽が生まれる日。この寒さの何処かで春の気配は生まれているのだろう。そして夏至を過ぎる頃には、此処には緑輝く稲達が風になびいている。
最近自分の中で確かな思いになっていることだが、この我々の社会も今、極まっているのではないだろうか。言葉と思考でできた環境の中で自然から孤立し、もはや自分自身を消費してしまっているシステム。しかしこの場合、転ずるのはシンプルだ。ただただ自然に身をゆだね、感覚を交わし、折り合う方向へ向かうということ。自然は言葉でも思考でもない情報に満ちている。感覚を開き、それを読みとる。田んぼはその典型的な体験の場になると僕は思うのだ。
今日は冬至。
田んぼメンバーが集まった。火を囲み汁を煮て乾杯をし、今年の収穫を祝福し感謝をした。
今年は初めて、冬の間から水を張って、生態系を活発にすると同時に土を柔らかくし、そのまま耕さずに田植えをする冬季湛水不耕起農法を試してみたが、粒だちが良く本当に美味しい米ができたのだ。来年もこれでやってみよう。それなら陰極まって陽が生まれる今日、田に水を引こうと、メンバーは手に手にスコップを持ち取水口へ向かった。水路をきれいに通して関を開ける。
祝宴はにわかに水入れの儀式になった。
(「88」連載より)

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